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2018年4月17日火曜日

先達の磯釣その5


釣り人、釣師の遊漁としての磯釣だけに限定すると、その歴史は一般的には戦前のそれほど古い時代には遡らない。まず、昭和初頭あたりではないかと思われる。だが、クロダイ、カイズ、あるいはスズキ、セイゴの内湾、堤防などの遊漁は明治、大正にはすでに盛んであり、明治の幸田露伴を見るまでもなく、その前の江戸時代の「何羨録」、「漁人道しるべ」、「釣客伝」、「魚猟手引き種」に散見される。
  
これらの書は「江戸釣術秘伝」、小田淳現代語訳、叢文社、平成13年発行、定価2600円に
められている。

また、何羨録だけなら、「何羨録を読む」副題が日本最古の釣り専門書、小田淳著、釣り人社、1999年発行、定価950円があるが、半分以上が解説ページである。

カイズ、クロダイ釣りではなく、ブダイ釣、メジナ釣ならば磯でしか釣れないから、どこかに出ていないかなと、斜め読みでザット見直したが、どうもどこにもないようだ。

津軽采女正の「何羨録」は享保8年、1722年とか。采女正の最も中心的な釣は江戸前のシロギスであったようだ。まれに1尺2寸のキスと、書いてあり、漁師は海キスのことをシロギスといい、川ギスのことを青ギスというとある。漁師はシロギスとアオギスの違いを判別していたと思われる。青ギスは非常に浅いところで釣ったそうだから、川ギスと呼んだのもうなずける。9寸以上のキスが鼻曲がりとある。シャケの鼻曲がりは有名だけどキスでもなのか。江戸前の釣り場はとても詳しく書かれている。

「釣客伝」は黒田五柳著で文政年間、1818年から1830年だそうだが、銚子のスズキ釣、小田原のカツオ釣からシイラまでの記述がある。漁師の釣りの伝聞のようだ。しかし、箱根湯本塔ノ沢の川釣は遊漁の案内と思われる。裕福な町人の旦那衆は温泉がてらにこのあたり釣ったのかも知れない。江戸末期だけどすごいね。

それから江ノ島のアジ、サバの乗り合い船釣というのがある。遊漁で、三人か四人。これもすごい。さらに大磯のワカナゴ(ブリの当歳で、今はワカシというのかな)とクロダイの釣は永田一脩の書いているオオナワの源流そのものであるが、セミプロまたはプロの釣のようだ。オオナワの略図がある。四間の竿(7.3m)で

長いバカ(全長24m)を出すのが特徴で、永田の本では詳しく書かれていて、ループを出してフライのように打ち込むことが分かる。この図では分からない。仕掛けは羽根を出した牛の角とあり図があ

る。この針は角と呼ばれるルアーである。釣客伝では14人から20人が立ち並ぶと書かれている。ナブラを釣る釣りであるから、繰り返す多数の打ち込みが効果あるのかも知れない。

磯釣では江ノ島岩屋前の釣りとあるが、多分磯釣だろう。9尺の竿、いそめ餌、ウミタナゴ、ショウサイフグ、アイナメ。なんとウミタナゴが出ている。ウミタナゴ、いいね、すばらしいね。ワタクシも竹の継ぎ竿でやるこの釣りは大好きだ。
さらに、さらに、同場所のタイ釣り。クロダイかも分からない。暮れ方より夜の10時ころまで、行灯を持って岩の先端に出て、三間から四間の竿、針元の鉛5匁から6匁、餌はシコイワシ、クルマエビ、魚の腸、魚の大小は1尺5、6寸まで(45cmから48cm)。明け方の時刻はとくに良い。大波が打ち上げる場所で、不慣れの人は無用である。とある。おお、すばらしい。こんな釣りがあったのだ、感動モノだ。もしかしたら、素人ではないかも知れないが、これが記録に残る磯釣の源流ではないだろうか。
神奈川の根釣は遊漁の船釣の王と書かれ、本牧沖などで、沖釣り場まで3里から4里(12から16キロ)二人船頭で船賃は一分金とある。江戸から神奈川というとそれだけで前夜一泊だろう。近場の江戸前の釣宿の船ならかなりあったようだ。

すでにキスの脚立釣や釣下駄の釣も盛んだった。五柳はどうもスズキセイゴの釣にもっとも意を注いだように感じられる。



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