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2018年4月17日火曜日

先達の磯釣その6


戦後の磯釣りを集約して、磯釣り入門者を啓蒙した先達は何人もいらっしゃるが、著作に限ればこの人の右に出る人はいない。永田一脩さん。名前は、かずなが、と読む。わたくしには、ながたいっしゅうさんの方がすんなり。1903年生まれ、毎日新聞を1958年定年退職。日本磯釣連合が分裂する前まで全磯連相談役。名門の磯釣同和会の人でした。ここの通称は、いそどー、です。ウチの会と同じく、三宅島では今はなき阿古食堂が定宿でした。いそどーの方がいらっしゃった場合は、敬意を表し、三歩さがったものです。でも、ご本人はわたくしが入門したころには磯釣りはほとんどやっていなかったのじゃないかな。1988年に亡くなった。東京美術学校西洋画科を出た。今の東京芸大です。写真家でもありました。ライカⅢFとローライフレックスを使った。門外漢には分からないだろうが、これがまた、左様でございますか、それはまた、そうでしょう、そうでしょう。よろしゅうございますね、まったく、、、というような感激、共感なのである。ローライフレックスはなんとスタンダードで、テッサーの4.5という渋いところ。ライカはエルマーとズミクロン。キヤノンの広角。
今回は最初の本から3冊目くらいまでを紹介する。最初は1960年「山釣り 海釣り」(山と渓谷社・480円)写真は説明レベルではなく作品レベルでとても良い。磯釣り入門記という項に昭和24年、ご本人のはじめての石鯛釣の文章がある。1949年だ。興味深い内容。真鶴の釜ヶ淵に行ったそうだ。


石鯛竿を曲げているのは長岡輝衛。石鯛釣りの理論家として有名。伊豆中木の白根で1955年5月。この写真も有名でよく知られているのではないだろうか。長岡氏の石鯛は1貫500匁。白根はたまに乗りますけど、磯はまったく変わっていない。

この写真もいいですねえ。1956年。下田神子元島に渡る途中で後ろに見えるのは横根ですね。特徴がありひと目で分かります。この渡船と船頭が良い。わたくしでも入門時代はこれに近いものがありました。操船は梶から梶棒が伸びていて、船頭は足で梶を切った。バレーダンサーのように。なにをいっているのか分からないだろうな、きっと。

寒鯛を持っているのは緒方昇氏。毎日グラフの編集長だった。1956年正月、伊豆大島の裏磯で炭焼き小屋を借りて釣行。2貫500匁。詩人でこの人の釣り本もよろしいものです。
漁村の風景。遊ぶ子供。1959年中木。この感じ。いい写真です。

1963年「入門 山釣り海釣り」という、文庫本。山渓文庫(230円)。前記の本の技術解説のつもりで書いたという。渡船風景では延べ竿を束ねているのが目だちます。この渡船は現在から見ると、いかにも危ない。これに近いのには乗ったことがありますが、これはちょっとね。昔の渡船は舳先に手すりがない船がたまにありました。

1964年「釣りの世界」(ひかりのくに昭和出版・400円)。エッセイあり、日記風あり、各論の序論といったのもあり、たいへんにおもしろい。
この中に絵画史、写真史、写真術、登山、釣りといったものが好きで新聞社時代の家計は苦しかったとある。昭和34年ころ、新聞社の月給4万円。当時テレビディレクターは本給2万3千円、残業、休日出勤併せてやはり4万円という時代だったそうだ。石鯛釣り道具一式の概算は約2万円。スキーも同じくらいで他の娯楽道具より高いとはいえないとある。一回の出漁は、交通費千円。釣り宿700円、渡船500円、エサ1200円だそうだ。食事その他で5千円は持っていく必要がある。4万円の中堅サラリーマンで月5千円の小遣いは許される娯楽であろうと書いている。現在はだいたい8倍から10倍かな。新聞社、テレビ局だとすると月給はもっといくだろう。現在、神津か銭州の下田夜行日帰りで5万円持っていく必要があるのが現実だ。ゴルフより高いといわれる。

この釣り宿の写真も有名。いそどーの磯師でしょう。

2 件のコメント:

  1. 仲木の白根の写真が良いですね。
    しかも、カメラもってるときにきちんとイシダイ釣るってのがまた何ともすごい世界と感じました。

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  2. 古いネット上の写真をコピーして使い回すと劣化が激しい写真がたまにある。これは多分。アップ時点の、縮小の度合いか。あるいは疑っているのは、ブログのプロバイザ側で、古いのはある時期で容量縮小やるんじゃないか。よく分からない。修正方法がだいたい分かったので、新しくシャープな写真を撮るつもり。

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