このブログを検索

2017年2月2日木曜日

釣りの連帯とは

ちょいと古いが、ワタクシ阿部の釣りの思想がまとめられている。古い「さかなちゃん」ブログの過去ログで光っている。
亡くなった釣りの巨星、小西和人の自伝、「楽しみを釣る」の書評である。
彼は、釣りはひとつの文化である。文化というのは歴史と伝統の積み重ね。歴史が遺っていなければ文化たりえない。磯釣りと投げ釣りの歴史だけは書き残さないと死んでも死に切れん」
と書いた。同感である。ほどほどにしないと、釣りがどこに向かっていくのかわからない。長年釣りを楽しんでいると、こういうことを考えるようになる。
ん、ちょっとハイブロウ過ぎるって、、まあまあ。
閲覧者の方も、そこらの、ぽっと出の釣り師と同じではイカンヨ。

小西和人自伝 楽しみを釣る(クリックでリンク)

http://siokaze1.cocolog-nifty.com/sakanachann/2010/03/post-ecf0.html


6 件のコメント:

  1. 釣りサンデーは子供のころ、兄貴が買ったお下がりを、よく読んでました。投げ釣り全盛期のころです。私も少なからずとも小西さんの影響は受けていると思います。

    一番強烈に記憶に残っているのは、九州で青ギス発見!の号でした。

    返信削除
  2. 釣サンは関西ローカル。関東の普通の釣り師は名前を知っていれば良いほうだった。ムック雑誌と単行本は内容が高くて関東でも評価された。知らない人は知らない。
    アオギスの時、一鷹さんは関東支部の役員として釣サンの会社に出向いたことがあるという。マニアとインテリには、アオギスと言えば江戸前の脚立釣りだね。その写真はよくお目に掛かる。網ビクを下ろしているかどうか船頭が見回りするというクダリがよく知られている。さらに高下駄を履いて歩いて行くってのがあって、その写真を知っていたら合格だ。
    Facebookの友達のAさんは、九州まで車で行って、現地でアルミの脚立を買ってチャレンジしたとか。

    返信削除
  3. そうですねぇ、アオギスの脚立釣りが東京の方であったんだよ・・・、というのを知ったのも、このころです。
    当時の私はテトラの穴釣りでガシラ(カサゴ)を釣ったり、塩屋~垂水の浜で投げ釣りをやったり。しかし15号ぐらいのオモリしか投げられない貧弱な装備で、どうやったらキスって釣れるの?とか悩んでた時代(笑)
    なぜか兄貴はカレイにハマって、お小遣いためてマムシ(イワイソメ)買い込んで数本竿を出して狙ってましたが、私は竿1本。

    釣りサンの情報でキスはさびいて狙うんだよ、とか、底から浮いて泳いでるよ、とか聞いてシモリウキを仕掛けにつけてみたり(笑)懐かしいです。

    垂水で初めてキスを釣ったのも強烈に記憶に残ってます。

    返信削除
  4. パソコン通信時代の1990年代。明石にnifty.comのフィッシングフォーラムで懇意にしていた会議室シスオペのいちろうさんという方がいて、いつも渡船で岩屋に渡っていた。面白そうで、一度行きたいと思った。明石大橋以前。ここって大阪の人も行っていたんじゃないかな。
    公式サイトのアクセスカウンターの件。良さそうな無料のヤツを探して付ける件。ググったらけっこうあったよ。中断前は3万か4万くらい行っていなかったっけ。アバウトで、アクセスカウンター復活させました、3万から再開とでも書いておけばいいんじゃないかな。

    返信削除
  5. カウンタ了解です。35000ぐらいからで良いと思います。
    岩屋といえば淡路島の岩屋の離堤のことかもしれませんね。明石海峡大橋が出来る前の時代、私たち親子はフェリーで淡路島へよく釣りに行ってました。しかし離堤は渡ったことないです。

    しかし一鷹さん、青ギスの件で釣りサンに出向いてたとはビックリです(笑)すごいっす!

    返信削除
  6. そうか、さかなちゃんブログのアクセス解析を見ると、一日150ページくらいはあるんだが、小西和人自伝、楽しみを釣るページは見られていない。リンクを貼っていることが一見しては分からないのだと思う。ちょっと薄い文字色になっているが、赤とかにしないと意味が分からないかも知れない。編集し直して見よう。

    返信削除