松崎明治は早稲田大学から朝日新聞入社の新聞記者。文化部で美術から釣まで担当した。商学部と文学部哲学科を卒業。ワタクシの大先輩であるが、哲学科となると恐れ入りましたと最敬礼しかない。そのくらい哲学科は偉い。報知新聞で釣を担当した佐藤垢石に比べると、垢石の読み物風に対して、明治は釣という文化や技術を正確に伝えたいという思いがあり、よく整理され、網羅しようとする意思が感じられる。であるから、長くに渡ってあらゆる釣のバイブルとして尊重された。
垢石への対抗意識だろうか、自序に次のように書いている。
「今日迄、釣に関する著述は決して少なくない。但し徒に著者自身の感興を冗長な筆にのせて弄んだ釣の随筆はあっても,広く全国釣り人のために釣魚全般にわたる調査研究をまとめ、釣行の親切な伴侶となる必携書(ハンドブック)は誠に稀である。本書の第一の目的はこの欠陥を補うにある」。
戦前の松崎明治の復刻版ならウチに二冊ある。ひとつは昭和17年10月朝日新聞発行の、「釣技百科」。定価は4円80銭。950ページ余の大著である。昭和54年、アテネ書房による復刻版となって再び現われたのだ。辞典のように数回引いたことがあるが、通して読むようなものではない。なんと、この本もオリジナルは戦時下の発行であったことになる。はしがきに明治は「全国各地の釣技の踏査を年来の宿題としてきた」と書いている。昭和17年7月20日、海の記念日、著者識す。とある。
この本は昭和13年の同じ松崎明治による釣百科を底本としていると見られている。ややこしいが、昭和13年の釣百科の方は戦前に12版重版された。戦後もなんと佐藤垢石の補による増補版が発行されメートル法に直した「新釣百科」が昭和36年再増補改訂版であり、これがウチにある。名前が似ているが、昭和13年が「釣百科」で、昭和17年は「釣技百科」であるのでお間違いのないよう。
「釣技百科」ではイシダイの地方名がある。調査してまとめているわけだ。東京でイシダイ、大阪と和歌山でウミハス、淡路でバス、富山でタカバ、愛知でナベダイ、紀州田辺でナベダイ、愛媛でコリイオ、鳥羽でナベ、鹿児島でシシャ、高知でコオロウ、伊豆江の浦でシチノジ、などなどきりが無い。イシダイ釣りは伊豆八幡野、紀州(ハス釣)、薩南沿岸(チシャ)が紹介されている。
八幡野は頑丈な四間半の延べ竿(8.1mである)にバカを二間くらい出して竿下の深場を狙う。水深10mである。
紀州は三間のリール竿でウキ釣りである。
薩南沿岸は800匁以下の中型以下を主に狙ったそうだ。3キロ以下である。五間の延べ竿でバカを一ヒロ。この地方は合衆国に出稼ぎした者が多く、米国リールを取り寄せ使っていた、とある。しかし米国リールは大型すぎるので国産五分幅中型リールを使うようになっているとある。五分幅とは1.5cm幅の小さいリールである。片軸リールと書いていないので両軸リールだろうから、オリムピックのシルバーフォックスあたりかも知れない。リールが弱いので糸巻きとしての用法であろう。300型ならもっと幅広だからである。それでもリールで直接釣るようなことはできない。糸を手で引き抜く方法だろう。
友人から頂いた。彼の父親が使っていたというシルバーフォックス
昭和17年の「釣技百科」と戦後の昭和36年の「新釣百科」を読み比べると、図版と文章はそのままというところが多い。しかし、イシダイは半分以上書き直している。ブダイは8割りくらい同じかな。昭和36年と平成の現代との差異の方が大きいかも知れない。ということは13年、17年、36年と大部分は同じ図版、文章が流れているといってもよい。
昭和36年の「新釣百科」は非常に細かい文字でなにからなにまで書かれて、つめこまれている。釣の百科事典である。その当時、いや戦前戦後かなり長い間、釣本の決定版とされていたのがよく分かる。魚拓の取り方から、餌の研究から、釣り人料理から、気象信号まで。
もう一冊の復刻版は、写真解説日本の釣。松崎明治著、昭和14年5月三省堂発行。定価3円50銭。この他に釣の写真は永田一脩や高崎武雄の撮影したものが本になっていて見ることができる。どちらも写真家だからまことに素晴らしい写真だ。しかし、ほとんどが戦後の写真だろうと思われる。戦前の釣の写真でまとまっているのは、松崎明治が撮影し、書いたこの本しかないと思う。新聞記者として日本全国の写真撮影もこなしているのは見事だ。
それで、この本の中に南伊豆石廊岬の磯釣という写真があった。これがなんと延べ竿のブダイ釣りの写真。この人はなんと普通のオーバーコートを着て釣りしている。人相風体が、どうも、レレレレとしか思えない。どこかの会社にいくらでもいるような人だ。この人はそのまま現代に来ても通用する。石廊崎で延べ竿を借りたのだろうか。
また、東海道の車竿という写真があった。昭和14年である。沼津千本松原の餌屋の店頭だそうだ。いろいろなリールがある。両軸のダイレクトリールのようなものが2台ある。一番右と3台目である。後はタイコリールのようだが、フライリールのようなものもある。次のように書かれている。
「リール竿は輸入された釣りの形式であるが、道糸を巻くに車を使うことは北海道と台湾にある。日本本土の両端に車竿があって(台湾は日本本土であったのだ)内地には古来リール式のいわゆる車竿のなかったことは面白い現象だ。ところが、近年東海道一帯の沿岸に車竿が流行し始め、お手の物の箱根細工で精巧な車ができ、最近では東海道一帯が車竿の発祥地のように考えている人さえあるくらいだ。台湾の車竿はシナから渡来したとか言われているが、沼津の車竿はあまり古くないころ北海道の釣り人が伝えたということだ。最近では北海道製や内地の製品ばかりではなく、いろいろの経路を経て素晴らしい高価な舶来リールまで現われ、毎日2、300人の車竿利用者が腕前よりもリールの自慢をしているような有様である。」
うーむ。この写真はすべてクロダイ用と思われるが、タイコの横転リールで投げ込み釣りもかなり普及していたようだ。オリンピックのリールは大小8種類が生産されていたと釣技百科にある。また、日本製木製リールも普及していたようだ。
釣技百科の口絵には沼津防波堤の黒鯛釣という写真がある。右の人はタイコリールで左の人はダイレクトリールのようだ。右の人の竿のガイドが見えない。もしかしたら中通しかも知れない。以前記事にした例の竿の走りかも知れない。